松平 忠救(まつだいら ただすけ)は、江戸時代中期の肥前国島原藩世嗣。島原藩分家で島原藩の大老を勤めた松平次章の子。官位は従五位下・飛騨守。

略歴

島原藩2代藩主・松平忠雄の実子が全て早世したため、本家島原藩の養子に迎えられる。

享保13年(1728年)、徳川吉宗に御目見し叙任するが、家督を継ぐことなく享保19年(1734年)に30歳で早世した。代わって、実弟・忠俔が養子に迎えられ嫡子となった。

脚注


徳川家康に異母兄弟がいた!岡崎市広忠寺に残る松平忠政と穎新の墓

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