スコット・リチャード・アンダーソン(Scott Richard Anderson', 1962年8月1日 - )は、アメリカ合衆国オレゴン州出身の元プロ野球選手(投手)。1991年から1992年まで中日ドラゴンズに所属した。
来歴・人物
1980年、高校生の時にMLBドラフト16巡目でオークランド・アスレチックスの指名を受けるも入団拒否し、オレゴン州立大学に進学。
1984年のMLBドラフト7巡目でテキサス・レンジャーズから指名を受け、契約。1987年、メジャー初昇格し、8試合に登板。1990年、モントリオール・エクスポズでメジャー再昇格し、4試合に登板する。
翌1991年、さらなるチャンスを求めて中日ドラゴンズに移籍し、来日。195cmの長身から投げ下ろすピッチングには威力があり、さらに時折打者を翻弄するかの如くサイドスローで投げ込んできた。先発ローテーションの一角に名を連ね、1年目には4完封勝利を挙げるなどしたが、走者を出すと途端に乱れるなど精神面の不安定さも指摘され、好調期が長く続かないことが多かった。この年は前年優勝の巨人戦に強く、9勝のうち半分の4勝を巨人戦で稼いだ。
在籍した2年間は共に年間9勝で、特に2年目(1992年)は外国人投手ワーストのタイ記録となる9連敗を含む、リーグワーストの14敗を喫する。そのオフに解雇され、帰国。
翌年アメリカ球界に復帰し、フロリダ・マーリンズに在籍。ミルウォーキー・ブルワーズを経て、1995年にカンザスシティ・ロイヤルズで3度目のメジャー昇格を果たし、メジャー初勝利も挙げた。しかし、同年を最後に現役引退。
1994年8月から1995年4月にかけてMLB史上最長のストライキが実施された影響で、1995年のスプリングトレーニングにはオーナー側の命令で代替選手として参加。そのため、スト破りを行った報復措置としてメジャー昇格後も選手会への加入を認められなかった。
現在は故郷のオレゴン州に在住。
詳細情報
年度別投手成績
- 各年度の太字はリーグ最高
- 「-」は記録なし
記録
- NPB
- 初登板:1991年4月10日広島戦(ナゴヤ) 先発し6回2/3を4失点(勝敗無し)
- 初完投・初勝利:1991年4月18日ヤクルト戦(神宮) 9回1失点
- 初完封:1991年5月1日ヤクルト戦(ナゴヤ)
背番号
- 48 (1987年)
- 52 (1990年)
- 28 (1991年 - 1992年)
- 37 (1995年)
脚注
関連項目
- 中日ドラゴンズの選手一覧
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- 個人年度別成績 スコット・アンダーソン - NPB.jp 日本野球機構
- Scott Anderson, Nothing Handed - 57 - The Greatest 21 Days




