赤松 満直(あかまつ みつなお)は、室町時代中期の武将。
赤松満政の子。赤松系図では赤松教政の弟とされる。嘉吉3年(1443年)6月に管領の畠山持国より赤松家惣領に任命された。しかし播磨は嘉吉の乱で山名宗全の領国となっていたため、その播磨を奪回するため父と共に京都から播磨へ下向した。
しかし宗全も但馬に下向して赤松・山名は東播磨で合戦に及んだ。しかし文安2年(1445年)1月20日に山名軍に敗れて父と共に一族の有馬持家を頼って落ち延びた。だが持家は丹波守護の細川勝元に大敗。保身のため持家は満政と満直らの殺害を決意し、親子は家臣124名ほどと共に4月24日に暗殺されて晒し首にされた。
脚注
参考文献
- 高坂好『赤松円心・満祐』吉川弘文館(人物叢書)1970年。

カープ赤松「それでも僕が野球を続ける理由」――赤松真人、胃がんを語る 1 がんと共に生きる。 文春オンライン](https://bunshun.jp/mwimgs/7/e/-/img_7eb3238963fca210424a085ee72028e3154586.jpg)


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