簗田 持助(やなだ もちすけ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。足利氏(古河公方)の家臣。下総国関宿城・水海城主。同名の簗田持助の玄孫にあたる。

略歴

天文18年(1549年)、簗田晴助の子として誕生。永禄10年(1567年)に父・晴助の出家により家督を継ぐ。

当時の晴助は後北条氏が擁立した足利義氏を古河公方とは認めず、里見氏を頼っていた足利藤政を擁立し、上杉謙信や佐竹義重らの支援を受けて、北条軍に対して徹底抗戦をしていた。しかし、天正2年(1574年)、ついに関宿城は陥落して晴助親子は助命されたものの、支城である水海城に追放される。その後も佐竹氏の援助を受けて抵抗するが、足利義氏の説得に応じて、義氏の許に出仕して、筆頭重臣として仕えた。

天正10年(1582年)に義氏が死去すると、その葬儀を執事として執り行ったが、直後に関宿城は親北条氏の簗田家中の一派に奪われたため、持助は再び北条氏と対立した。

天正15年(1587年)、死去。

脚注


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