松平 頼道(まつだいら よりみち)は、江戸時代前期から中期にかけての大名。常陸国宍戸藩2代藩主。官位は従五位下・筑後守。
生涯
水戸藩主徳川頼房の六男松平頼利の長男として誕生。母は上杉憲国の娘伽治。
貞享4年(1687年)8月、先代藩主で叔父の頼雄に嗣子が無かったため、その養嗣子となり、元禄10年(1697年)に頼雄の死去により跡を継ぐ。享保6年(1721年)6月3日に65歳で死去し、跡を長男・頼慶が継いだ。法号は住禅院殿定誉諦真道鏡大居士。墓所は茨城県常陸太田市の瑞龍山。
系譜
- 正室:於愛 - 鈴木重政娘
- 長女:八十 - 徳川綱條養女
- 次女:千代
- 長男:頼慶
- 三女:染 - 白井信胤養女
- 側室:某氏
- 次男:次郎
- 側室:林氏
- 三男:豊後




